実施設計の中で

前へ ホーム 上へ 次へ

 

 

 昭和47年から48年にかけて、今度は建築の実施設計図を作る作業が行われました。これは、建物の部分部分の細かい仕様を決める作業です。設計は引き続き丘設計事務所に委託され、準備室と協議を重ねながら仕事が進んでいきました。
 この段階でも、準備室では数多くの細かい注文を出しました。たとえば、入り口には雨の降りこみ防ぐためにアーケードをつけました。特別展示室では、ケース内の熱源を少なくするために、蛍光灯の安定器を倉庫内に一括しておくようにしました。科学教室には、実験室としても使える設備として床に電気とガスの配管をしました。第1収蔵室は、保管条件を整えるために、天井、床、壁を二重にし、コンクリート面は防水処理も行いました。写真室は、照明のためにコンセントの容量を大きくし、また大きな資料の撮影のために天井を高くとりました。工作室は水洗い作業をするために、洗い場とろ過漕を設け、床にも防水加工をしました。
 こうしたことを、一つ一つ図面とにらめっこをしながら決めていったのです。
 また、この段階で生じた大きな問題に、博物館の建築予定位置に数本のユリノキの大木があり、それをどうするかということがありました。伐採も検討されたのですが、海軍火薬廠時代から立ち続け、いわば歴史の証人ともいえるユリノキを保存したいという意見が強く、結局2本を移植し、後は建築位置をずらすことで解決することになりました。この決定は「ユリノキは残った」という見出しで報道され、大きな拍手をあびました。

※ここに掲載した文章は、開館20周年記念展の際に発行された図録中の 第1章 博物館ものがたり 9.博物館の建物ができるまで です。執筆された浜口哲一先生のご厚意によりここに掲載させて頂きました。

 

前へ ホーム 上へ 次へ

※当ホームページは、平塚市博物館が運営しているわけではありません。情報展示研究会が会の責任において製作しているホームページです。よって、このホームページの記述に対して、平塚市博物館がいかなる責任、義務を負うものではありません。
 何か疑問等ありましたら、こちらまで。 メールはこちらまで