なぎの葉

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ろばたばなしの会の会員の方)はじめに、平塚のお話しです。
 むかーし、むかし、須賀港に母一人、子一人の親子がいました。息子の若者はたいへん親孝行で、歳とったお母さんを大事にしていましたから、近所でも評判でした。感心な息子だ、良い息子だと言われていました。ところが、家が貧乏だったので、お嫁さんになってくれる人がいません。息子の若者も早くお嫁さんを迎えて、お母さんを安心させてあげたいと思っていました。そこで、ある日息子はお母さんに言いました。「お母さん、これから甲斐の国へ働きに行こうと思う。留守の間寂しいでしょうけど我慢して待っていて下さい。必ず、帰ってきますから。」するとお母さんも、息子が働きに行くっていうのが判っていましたから、「いいとも行っておいで、身体に気をつけるんだよ。そしてなるべく早く帰ってきておくれ。あたしのことは心配しなくてもいいよ。」そう言いました。さて、息子が船に乗って相模川から遡って甲斐の国へ行くことになりました。見送りにお母さんが来たので、息子が、「お母さん手紙を書くからね。」そう言うとお母さんは、「私は字が読めないから手紙をもらってもなんの役にもたたないんだよ。それよりも、幸せを届けてくれるというなぎの木の葉を届けておくれ。そしたら、なぎが届いたらお前が無事でいると思うことにするからね。」そう言いました。そこで息子はなぎの葉を毎月贈ると約束して、船に乗って、相模川を遡って行きました。お母さんは息子の乗った高瀬船が見えなくなるまでずうーっと見送っていました。
 息子が甲斐の国に着くと、絹織物を売っている店に住み込みで働くことになりました。そして、その間も毎月1回川船の船頭さんに頼んでなぎの葉をお母さんの所へ贈ってもらっていました。息子が遠くへ仕事ででかけて、なぎの葉を贈るのが遅れても、お母さんはなぎの葉が届くと、あー息子は元気でやっているんだ。と喜んでいました。
 こうして2年ばかり経ちました。そこの店の主人は、よく働く親孝行の息子のことが大変気に入りました。そして、自分の代わりに大事な仕事をさせて、その仕事が無事に終わったら一人娘のお婿さんにしようと思いました。そこで息子の若者を呼んで言いました。「私の代わりにこの絹織物を京の立派なお役人のところへ届けておくれ。」息子はそれを聞いて喜びました。その絹織物というのは何年も何年もかかって織りあげた、立派な絹織物だったのです。ですからもちろん値段の高いものでした。そんな大事な布を届ける役目を言いつけられて、息子は自分が主人に信用されているんだと思って大変喜びました。すっかり出かける支度が終わってから息子の若者は主人のところへ行って、「これから行って参ります。けれど一つお願いがあります。」「なんだい。」「どうか須賀にいる母のところになぎの木の葉を毎月一回贈って下さい。」主人は、「それは何のまじないかね。」と聞きました。「母は字が読めませんので、なぎの葉を見ると、私が元気でいると思って安心するのです。私が元気でいるという合図の様なものです。」「そうか解ったよ。じゃ毎月一回必ず贈っておくから、心配しないで行っておいで。」こうして息子は都へ向かって出かけて行きました。けれどもまだ甲斐の国を出ないうちに、その立派な反物を悪者に奪われたうえに、息子の若者も殺されてしまいました。そのことを知った店の主人は歳とったお母さんにその息子の死んだ事を知らせるのを可愛そうだと思って、知らせないで、毎月なぎの葉をそのまま贈り届けました。時にはそのなぎの葉に、お金を添えてやったり、品物を添えてやったりしたので、お母さんは、息子が亡くなった事を知らないで、ずうーっと息子が元気でいると信じていましたが、ある日枯れ木が倒れる様に亡くなってしまったということです。おしまい。

 

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