日向薬師の破れ太鼓

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ろばたばなしの会の会員の方)えーと日向薬師の破れ太鼓というお話しです。これは伊勢原の日向薬師のお堂に皮が無く胴だけの太鼓があります。この大太鼓のお話しです。
 むかーし、せんば峠の麓のせんば村に天を覆うような楠がでーんとはえておった。この大きな楠は村人の自慢の種で「おらあ楠村のものじゃ」と言えばどこの村へ行っても「おう、せんばのお人じゃな」と言われるくらいだった。ところが、困る事があった。村中が樹の陰になって稲も麦も粟もちょぼっとしか採れないことだった。秋になり取り入れの祭が来ると、辺りの村からは豊年だ満作だと笛や太鼓の音が鳴り響いたが、楠村では太鼓一つ鳴らなかった。
 こんなことがずうーっと続いたある年、村で寄り合いが持たれた。「楠を切ってしまうべ」と言うものもあり、「いやあ切ったらえらい事になる。村を見守ってこられた楠様じゃ、切ったらたたりがある」と言うものもあり、もめにもめておった。寄り合いは幾晩も続いたが、最後に楠の太い幹の所で太鼓を造り、日向の薬師様へ奉納し、残った木で村の橋を掛けることで村人達は頷いた。やがて村の男衆の手で楠を切る大仕事が始まった。かきーん、かきーん、かきーん、木こりの打ち降ろす斧の音が、辺りの山々に轟いた。幾日も幾日も続きやがて楠が倒される時が来た。村人は遠くから楠に手を合わせ、「長いことご苦労様」と唱えた。楠は地響きをたてて倒れた。村はぱーっと明るくなり、お天道様がまぶしく照りつけた。橋を造るのは村の大工や木挽き、それに若い衆も働いた。太鼓の方は江戸から来た職人が大木をくりぬき、村を挙げての大仕事、幾日も幾日も続き、やがて皮も張られ大太鼓が出来あがった。どどん、どどん、どーん、太鼓は楠で造った橋を渡って、日向薬師へ向かった。そして太鼓は日向薬師のお堂に長いこと納められていた。
 あるとき薬師様へお参りに来た源頼朝の目に止まった。「これは立派な太鼓じゃ。富士の巻狩りに使おう」という事になり、大太鼓は足柄峠を越えて富士の裾野へと運ばれていった。「日本一の富士の山、麓で響くは日本一の大太鼓」どどん、どん、どん、どーん。凄まじい太鼓の響きに驚いた獣たちは森から飛び出した。それを捕える巻狩りの武士達は、太鼓のおかげで、巻狩りは大成功だった。太鼓が日向薬師へ帰ってくると村人は盛大な拍手を送った。
 太鼓はまた長いことお堂の中で眠っておったが、巻狩りの話しを先祖から聞き伝えていた村の人達は、時を告げるのにこの太鼓を打ち鳴らすことにした。どん、どん、どーん。朝もやをついて鳴らされる太鼓を合図に村人は田や畑へ向かった。一日、目一杯働いて、お天道様が大山の向こうに沈む頃、また太鼓が鳴った。その音を聞くと村人は、いそいそと家へ帰っていった。太鼓はこうして村人と共に暮らしておった。
 そのうちにえらーいことが起こった。太鼓の響きはおどろおどろ山や野を越え相模川を伝わって何と海まで轟いたのだった。これに驚いたのは海の魚達。須賀の漁師達は魚が獲れなくなって困ってしまった。「どうもあの音のせいじゃ。一体何の音か。雷とも違うし朝夕の決まった時に聞こえてくる。突き止めて、退治せねば」と漁師達はもり、鎌、棒を持って山の方へと向かった。そろそろ聞こえてくる頃だ。と漁師達は音が響き始めるのを待った。どん、どん、どーん。漁師達は音のする方へと走った。そして太鼓を見つけた。「こいつが魚を追い払っていた奴だ。それ」と太鼓の皮は破られてしまった。それ以来、日向薬師の大太鼓は鳴らない破れ太鼓となってしまったのだそうです。おしまいです。

 

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