見るなの座敷

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ろばたばなしの会の会員の方)見るなの座敷、山形に伝わる民話です。
 むかし、むかし、ある所に畑を耕して暮らしをたてている一人の若者がおった。ある日、花もたんと咲かないし、実もならなくなった梅の木を切ろうとした。すると「その木を切らないで下さい」という声がしたので若者が振り向くと、そこには見たこともない美しい娘が立っていた。娘は「私は、その梅の木が大好きなのです。どうぞ切らないで下さい」と切なげな顔をして頼んだので、若者は「わかった。切るのはやめよう」と言った。娘は嬉しそうに「お礼をしたいので、私の家へ来て下さい」そう言って、先に立って歩き出した。若者が娘に付いて行くと、村はずれを過ぎ森の中へ入っていった。どこへ行くのだろうと思って付いて行くと、急に辺りが開けて目の前に立派な家が建っていた。娘は「ここが私の家です」と言って若者を家の中へ入れると、酒や肴でたんとご馳走してくれた。若者は楽しいこの生活が好きになって、ついつい家に帰るのも忘れて、そこで娘と暮らすようになった。
 たちまち三年が過ぎた。ある時娘は「ちょっと用足しに行ってくるので留守番を頼みます。家の奥に十二月の座敷がありますから、退屈したらそこを見ていて下さい。でも二月の座敷だけはけっして開けてはなりません」と言って出かけていった。しばらく時が経ったが娘はなかなか帰ってこない。若者は退屈して家の奥の十二の座敷を見ようと思って、一つ目の座敷を開けてみた。そこは一月の座敷で松飾りに鏡餅みかん。子供達は羽をついたり、こまを回していた。これは面白い。次はどんな座敷だろう。だが二月の部屋は開けてはいけないと言われていたので、三月の座敷を開けてみた。三月の座敷はひな祭。ひな段の前で子供達が白酒を飲んでいた。若者は嬉しくなって、次から次へと座敷を見て回った。四月はお釈迦様の花祭。竹の柄杓でお釈迦様に甘茶をかけた。池には睡蓮が咲いて、それはそれは奇麗だった。五月は端午の節句。鯉のぼりが空を泳いで、子供達はちまきを食べていた。六月は富士山の山開き。七月は七夕。八月は盆踊り。どの座敷も本物の景色で、子供も大人も楽しんでいた。九月はお月見。十月は稲刈り。十一月は七五三の宮参り。十二月は早いものでもう師走。餅をついたり、しめ縄を飾ったり、みんな正月の支度でおお忙し。子供達は昔語りして遊んでいた。若者は最後の座敷を見終わると、二月の座敷はどんなだろうと見たくなった。けれど見てはいけないと言われていたので、見てはいけない、見てはいけないと我慢した。けれどもなかなか娘は帰ってこない。見てはいけないと言われれば見たくなる。若者は「えい構うものか。ほんのちょっと見るだけだ」もう我慢しきれなくなって二月の座敷を開けた。すると梅の木に一羽のうぐいすが巣をかけていた。若者がそっと手を伸ばすと、うぐいすはさっと消えた。そこにはうぐいすの卵が一つ残っていた。ふと振り返ると、あの娘が悲しそうな顔をしてそこに立っていた。「見てはいけないと言ったのに、とうとう見てしまったのですね。もう少しで私達の子供が生まれるところだったのに」そう言うと娘は見る間にうぐいすになって悲しげに鳴きながら飛んで行ってしまった。若者は気が付くと、十二月の座敷も立派な家も消えていた。若者は畑の中にぽつんと立っていたんだと。おしまい。

 

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