星の地図・星の住所

前へ ホーム 上へ 次へ

 

 特別展は終了してしまいましたが、博物館2Fにおいて、特別展で展示していたものの一部を展示しています。僕がMacで作成した作品も置いてありますので、良かったら見て下さい。(現在は展示していません)

春期特別展

会期:3月18日(土)〜4月9日(日)

関連行事                                          
★展示説明会               3月23日(木
★星座早見を作ろう        3月30日(木)

 お問い合せは、博物館まで。                         
平塚市浅間町12−41電話0463−33−5111

 

 はじめてだれかを訪ねて行くとき、わたしたちは地図を使い、住所録を確かめます。
 同様に、見知らぬ星を求める旅に使うのが、星の位置を記す星表と、星空の地図、星図です。
 ここに展示するのは、星の位置を測り、確かめ、それを図に描いてきた星空の旅行者たちの歴史です。そして、今や宇宙を旅する人類が描きつつある、三次元に広がる立体地図です。

●星空の動き

 星の動きを調べると、規則正しい動きをしていることがわかります。北極星の光る北の空を中心として、左回りにまわり、空全体の星が回転運動をしていることが観測されます。あたかも空全体がひとつの球形(天球)であり、星と星との相互の位置関係は変わらず、星はその内面に張り付いているもの(恒星)、と考えて差し支えなく、天球が天の北極と南極を軸に回転しているように見られることです。北半球に住む私たちには、天の北極周辺はいつも見えますが、南極周辺は全く見えず、それ以外のところは毎晩昇っては沈みます。もし、毎日全く同じ星が同じ時刻に東の地平線から昇り、同じ時刻に西の地平線に沈む繰り返しだったら、それぞれの星の位置は、天球の回転の単なる目印だったでしょう。しかし、それは複雑で、人間の知的探求心を刺激し続けました。

●ヨーロッパの古星図

 今日知られている最古の星図は1440年頃のウイーンの写本といわれています。星図が初めて印刷されたのは、1515年に木版で出版されたデューラーの星図です。星図は17世紀に入ると、その頃発達をとげた地図作りの技術と印刷技術により、格段の正確さと美しさを備えるようになります。また、プトレマイオスの48星座にはない、南半球の天の南極周辺の空白を埋めるため、ふうちょう座、かじき座といった星座を作っています。その後、星図はより正確さを競う、天文学者や観測者向けの星図と、美しい星座絵をちりばめた教養のある愛好者向けの、出版物としてのジャンルを確立していきます。

●近・現代の星図・星表

 1930年、国際天文同盟が、星座数を88にし、星座境界を1875年分点の赤緯線と赤経線で分割する案を提案しました。
 星図は天球上に確定され、星図は近代星図としての体裁を備えたものとなりました。
 星の位置も望遠鏡観測によって精度が高まり、星の固有運動まで見いだせるほどになります。19世紀後半は星の位置を南半球の星にまで広げて、全天の星の詳しい位置を記録した星表が完成した時代でした。現代の星図は星の物理的な性質や固有運動量、わたしたちからの距離、遠い銀河の位置まで記載され、宇宙全般にわたる情報を備えるようになりました。  

●日本・中国の古星図

 日本・中国の古い星図には、中国で作られた独自の星座たちがならんでいます。今の星座を用いるようになったのは明治に入ってからなのです。現在では、これらの星図は星の同定すらむずかしくなっていますが、写真やや左上段に見える(現在未掲載)しし座頭部の星のならびなどをたよりにたどってみてください。
 江戸時代は日本の天文学の黎明と言えます。天文や暦法に関する書物が数多く出版され、実際の観測にもとづいた星図も作られました。『天文成象』もそのひとつで、作者の渋川春海は、わが国で日本人の手による初めての暦となった貞享暦の作者でもあります。

※ここに載せた内容は、特別展のパンフレットに掲載されたものです。

 

前へ ホーム 上へ 次へ

※当ホームページは、平塚市博物館が運営しているわけではありません。情報展示研究会が会の責任において製作しているホームページです。よって、このホームページの記述に対して、平塚市博物館がいかなる責任、義務を負うものではありません。
 何か疑問等ありましたら、こちらまで。 メールはこちらまで