三谷のいたずらぎつね

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ろばたばなしの会の会員の方)今度は平塚に伝わっているお話しです。
 むかしむかしです。平塚の真土から東中原にかけて三つの小さな山が並んでいました。兵衛山、三谷山、伊勢山。そしてこの山には一匹ずつ狐が住んでいました。兵衛山の兵衛狐は年とったおとなしい狐でした。三谷山の三谷狐は、まだ年が若くいたずらものでした。伊勢山の伊勢狐は人が良くて世話好きでした。三谷山の側を村の人が通る時は、いつもいろいろいたずらをされるので「ここには悪い狐がいるから気を付けて行こう」と言い合っていました。
 でも村人が婚礼のお祝いのご馳走を持った帰り道、酔い加減でふらふら歩いていくと、目の前に突然川が現われてびっくりして「こんな所に川があったかな。しかたがない渡って行くか」と裸になって着物を全部頭にくくりつけ、持ってるものを乗せて川を渡り始めると、川幅はどんどん広くなり、どんどん深くなって「ああ深え、ああ深え」と言いながら渡っていくと、また急にぱっと川が消えてしまいます。その人はおやっと思いながら慌てて着物を着てさてご馳走はと思うと、いつの間にか無くなっていました。そんないたずらを三谷狐はしていたのです。そんな事が度々繰り返されるもので、しまいにはもう三谷山の側は通らない事にしようということで、だんだん人が通らなくなってしまいました。
 そうなると三谷狐はいたずらが出来なくてつまらなくてたまりません。ある日伊勢狐の所を訪ねていきました。「伊勢さんよお。実はな、おらこの頃目悪くなってしまってよお。夜外へ出られないんだ。俺が夜外へ出る時は伊勢さんお得意の狐火灯してもらえねえだろうか」「ああいいとも。けどよ毎晩ていうのはちと難儀だな」「いや毎晩じゃなくてもいいんだ。おらが外へ出る時だけでいいんだ。おらがコーンコンコンと鳴いたら外へ出る時だから狐火灯してけろ」「ああそうかそうか承知した」そう言って伊勢狐は引き受けてしまった。
 するとある晩のこと旅人が三谷山の側を通りかかった。「なんかここらは悪い狐が出るということだから気を付けなくちゃ」そう思いながら暗い夜道を歩いていると、どこかでコーンコンコンと鳴く狐の声がした。「あっ狐が側にいるぞ」そう思いながらその人が用心して歩いていくと、西の方の山に灯りが一つぽつんと灯った。おやっと思っている間にその灯りはどんどんどんどん増えていって、それがみーんな揃ってゆらりゆらりと揺れておる。「まあなんて奇麗なもんだべ。たぶん狐火だとは思うけど」とその人が見とれていると、何か腰の辺りが重たくなった。その人が腰に手をやってみると、何とすっぽんが食い付いておる。すっぽんをはずそうと思って手で探ると今度はすっぽんは指に噛みついてきた。その人は何とかすっぽんを離そうとしたが、どうしても離れない。だんだん夜が明けてくる。その人は泣き泣きそこを通り抜けていったということだ。
 それを聞いた名主さんが怒った。「狐火を灯す狐は、伊勢山の狐だ。そんないたずらものはみんなで捕まえてやろう」そこで村人総出で伊勢山に行き、伊勢狐を捕まえてきた。懲らしめだということで囲炉裏の上に伊勢狐を縛って吊した。そして下から生木をどんどん燻したから伊勢狐は苦しくてたまらない。コンコンコンとむせて鳴いたそうだ。そしたらその声が兵衛山に聞こえた。それを聞いた兵衛狐は伊勢狐をかわいそうに思って近くの狐達をみーんな集めて「かわいそうな伊勢狐を何とか救い出したいと思うんだが協力してくれないか」と頼んだ。そこでみんな承知して、それから間もなくのことある晩伊勢山にたくさんの狐火が灯った。村中の人達は伊勢山にはもう狐がいないはずなのになんだろうと思って出て眺めたが、その数といったらない。美しさにみんなが見とれておった。名主さんの家でもみんな庭に出て眺めておった。その間に兵衛狐は伊勢狐を縛っていた縄を食い切ってなんとか助け出すことが出来た。
 それから兵衛狐は伊勢狐を自分の所へ連れていって一緒に住むことにした。それで伊勢狐も次郎兵衛狐と名前を変えて一緒に暮らしたんだと。ところでいたずらものの三谷狐はみんなに嫌われて中原から追ん出されてしまったんだと。だからどこかでコーンコンコンと鳴く狐がいたらみなさん用心して下さいね。騙されないように。おしまい。

 

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