いよいよ建築設計

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 昭和45年に図書館、46年に青少年会館がオープンし、いよいよ博物館の建設が具体的に動きだしました。準備室が設置され、ただちに建築設計についても検討が始まりました。
 丘設計では、コンペで入選した図面をデザイン的な基本として、基本設計図を作る作業を進めていきます。建物を建てるためには、何段階もの設計が必要ですが、基本設計は、全体的なデザインや部屋の配置、柱や天井などの構造を決めるものです。いわば博物館の骨組みを作る作業ということになります。
 この基本設計に準備室として、どんな考え方を反映させることができるかが、大きな課題でした。準備室の中心だったのは、亡くなった島崎康信室長で、実務的にはこれも亡くなった小島弘義さんが進めていきました。この段階では、設計事務所との間に激しいやりとりが繰り広げられました。博物館活動の機能面を重視する準備室と、デザインにこだわる事務所では話が平行線をたどることも多く、3ヶ月ほどのあわただしい日々が続きました。この時の小島さんたちの頑張りがあったからこそ、使いやすい建物ができ、その後の博物館の飛躍があったのだと、今振り返って強く思います。

※ここに掲載した文章は、開館20周年記念展の際に発行された図録中の 第1章 博物館ものがたり 9.博物館の建物ができるまで です。執筆された浜口哲一先生のご厚意によりここに掲載させて頂きました。

 

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