三嶋神社・鳥居1

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石仏を調べる会の会員の方)あのここは、あの三嶋神社と申しあげます。えーまあ簡単にあの三嶋神社の紹介をさせて頂きます。旧名称は三嶋社と??維新以後三嶋神社ということになっています。博物館であの発行しています市史っていうりっぱな本があります。その本の中には、この三嶋神社の祭神が大山???。別当寺が長楽寺。別当寺っていうのはあのちょうどまた長楽寺??お話しあるかもしれないですけれども。まーあの維新前はこのお宮を管理しておったところのお寺。が別当寺??。長楽寺??。でえー祭例が9月29日って事になっておりますけれども、それなんか古い??ではないかと思いますけれども、現在9月29日ではないようです。

石仏を調べる会の会員の方)でこれは市史にそう書いてあるんですが、もう一つあの平塚のあの観光協会から発行しておりますこういう冊子があるんですね、で実際中を書いたのがあの博物館なんです。ですからまあ食い違っちゃまずいんですけれども、この本の中を見ますと、ちょっと食い違っております。えー三嶋神社の??の中に祭神が事代の主の命、事代の主の命っていうのは、ご存じの恵比寿さんですね。

石仏を調べる会の会員の方)正面にあります恵比寿さんです。恵比寿さんが祭神??。現在はしたがって、まあさきほどの??の命と事代の主の命の両方お祭してあるんじゃないか??。まあいずれにしましても??の神様が祭ってあるということになっています。えー古い文書は無いんですけれども、言い伝えの内容によりますとですね、このお社っていうのは伊豆の国の賀茂郡の三島明神から分霊をこちらに受けたということになっております。で頃はですね寛文の頃?、1661年ないし73年の頃がまあ寛文なんですが、この頃こちらに移ったっていう事になってるんですけれども、その頃伊豆の賀茂郡三島っていう所は無いんですね、で賀茂郡ではなくてこの時には既に三嶋神社は既に田方郡の方に移っちゃって、田方郡っていうのは現在の三島市です。???証言が食い違っておりますけれども、いずれにしましてもこのお社の元はですね伊豆の国からこちらへこられた?。で、あの賀茂郡っていうのはちょっとまあおかしいと申し上げたんですけども、えー実はその前にですね三島に来る前に三島大社は賀茂郡にあったということのようでございまして、現在下田あたりにですねあったようでございます。その時にいわゆる海の神様ですね、海の神様だった。ということで、まあその頃はおそらく事代の主の神が、えー祭神じゃなかったかというふうに思います。で、それが三島に来たんですけども、三島っていう所は、まああんまり海と関係ないんですけれども、まあ??。それからこちらへ来たんですけれどもたまたま須賀っていうところの土地がですね海のそばで港に近いっていうことで、こちらに??勧請したんじゃないか??。現在まあここは、このいわゆる須賀地区の鎮守ですね??。皆さんの手元の資料に書いてありますけれども、お祭りがですね、
(浜野)7月の21日ですね。
石仏を調べる会の会員の方)21日ですか、その頃、若干年によってこうばらつきがあるようですが、だいたいその頃、お祭りがありましてですね、ここのお宮からお御輿が出まして、これから回る所に、たくさんの町がございます3つ4つあります。そこのお御輿と一緒になりましてですね海へでるんですね、浜降りのお祭りというのがあります。??なかなかあの古いお祭りです。それで普通浜降りというのはどこにもあるんですけれども、こちらの場合ですとね、ちょうどその港から船が出???、お御輿といっしょに船が周りをこう廻って??。ちょっと変わったお祭り??。

石仏を調べる会の会員の方)先程まあお御輿という話ししたんですけれども、この奥のお御輿をありますよね、お御輿がこう出てくるんですが実はあの鳥居とですね、

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