牛の嫁入り

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ろばたばなしの会の会員の方)牛の嫁入り
 むかーし、ある所に美しい娘がおりました。嫁入りの年頃になったので、ある日お宮へ行って、神様にお願いしました。「神様、どうか私を良い所に嫁入りさせて下さい」ところが、ちょうどその時、そのお宮の奥で昼寝をしていた隣村の若い衆がその声で目を覚ましました。見ると美しい娘です。神様のふりをして自分の所へ嫁入りさせようと考え付きました。「これこれ娘」若い衆は作り声で言いました。「はい」「お前は、どこの娘じゃ、名前は何と言う」「はい、この村の太一の三女ですずと申します」「して、どこへ嫁入りたいのだ」「あのそれは神様にお伺い申します」「ん、それなら隣村の兵作の長男、きん太の所が良かろう」
 娘は家へ帰ってその事を話しました。でも、お父さんもお母さんも隣村の兵作も嫌いなら、長男のきん太はもっと嫌いでした。娘はそれまでは何ともなかったんですが、その話しを聞くと自分も嫌いになりました。でも神様のお告げに背く訳にはいきません。次の月の良い日を選んで、お嫁入りの日が決まりました。
 さて、その日になりました。娘は奇麗なお嫁さんの着物を着て、殿様が乗るような籠に乗せられました。何人もの人がそれを担いで、そばではお祝いの歌を歌う人もいました。そうして、籠はお婿さんの家へと出掛けました。でも籠の中では娘はやっぱり泣いていたのです。
 しばらく行くと、「下にー、下に、下にー、下に、下におれ」声が聞こえてきました。これは、殿様が向こうからやって来たのです。殿様も籠に乗っていました。そして、旗やら矢やら刀を持った家来たちが後先にお供として付いています。その先頭のお供が「下にー、下に」と呼んでいたのです。すると道を歩いている人も、その辺で仕事をしている人も、みんな土の上に座って、殿様の籠にお辞儀をしなければいけませんでした。昔の事ですから、その時に何かあったら「無礼もの」ってそれは酷い目にあったのです。ですから「下にー」っという声を聞くと、逃げ出す人もたくさんあったそうです。その時もそうでした。娘の籠を担いで来た人達も、そばで歌を歌っていた人達も、籠を道端に置いたまま、どこかへ逃げて行ってしまいました。そんな事とは知らない娘は、やっぱり籠の中で泣いていました。
 すると殿様が、行列がやって来て「無礼な籠だ」家来が籠の窓を開けてみると、中に奇麗な娘がいます。殿様も覗いて「こら娘、どうしたのじゃ」と聞きました。娘が神様の事、それから今までの事を話すと、「そうか、それではわかった。それならわしに付いて来るが良い」と言って、娘を自分の籠に乗せました。そして娘の籠には、ちょうどそこへのこのこやって来た牛の子供を乗せました。そして殿様は家来が引いてきた馬に乗って、また「下にー、下に」と呼びながら進んで行きました。
 さてこちらはお婿さんの家です。お嫁さんが来るというので、家ではご馳走を作って大騒ぎです。もうすぐお嫁さんが着く、みんな大喜びでした。でも牛はそんな事とは知らず、籠にゆられて「もー」とも言わずにおとなしく乗っていたそうです。やっとお婿さんの家に着きました。お婿さんは喜んで、そのままずーっと座敷へ入れました。そして籠の戸を開けて「いらっしゃいませ」丁寧に挨拶したそうです。でも今まで狭いところに入れられてた牛は、ぱっと戸が開いたので、勢い良く飛び出しました。そして大勢の人がいるのでびっくりして、あちらへ走り、こちらへ跳ね、ご馳走が乗っているお皿を蹴散らし、鉢を蹴飛ばして、それは大騒ぎになりました。するとそれを見ていたお婿さんは、牛にむかって「こらこら、わしが嫌いなら、それでいいじゃないか。牛になんかなって、こんなに暴れることはないじゃないか」と言ったんですって。一方娘さんの方は、殿様に連れていかれて、とても良いお婿さんを世話してもらって、とても幸せに暮らしましたって。めでたし、めでたし。

 

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